2012年01月17日
タンカーの無線室
久しぶりにアップいたします。
最近は船舶には無用となった無線室。
短波帯の電波を使って、電報を送受したり、気象や航行警報を受信しておりました。
送信機は、JRC製、出力は約1KWだったと思います。
本船は、インマルサット設備を積んでいなかったので、ほとんどの通信が無線電信、つまりモール信号を使っておりました。
新聞や気象はFAXを使っていましたが、カーボン式の旧式です。

本船は、総トン数約48万トン。
長さは約380m、幅約80mだったかな?
そんな巨大タンカーでも時化の海ではかなりゆれます。
さすがに45度はないですが、船体が大きいのでエレベータのようにゆっくりした周期で揺れます。
これがまた気持ちの悪い事!
普段あまり揺れないので、気持ちが悪くなるときがありました(笑
原油を積んでいると喫水が下がるのでマラッカ海峡は通過できません。
たしか、ロンボック海峡を通って日本の港に入ったような記憶があります。
もちろん運河もNGですが、主にPG航路でしたのであまり問題はなかったようです。
古きよき時代の、船の無線室でした。
最近は船舶には無用となった無線室。
短波帯の電波を使って、電報を送受したり、気象や航行警報を受信しておりました。
送信機は、JRC製、出力は約1KWだったと思います。
本船は、インマルサット設備を積んでいなかったので、ほとんどの通信が無線電信、つまりモール信号を使っておりました。
新聞や気象はFAXを使っていましたが、カーボン式の旧式です。

本船は、総トン数約48万トン。
長さは約380m、幅約80mだったかな?
そんな巨大タンカーでも時化の海ではかなりゆれます。
さすがに45度はないですが、船体が大きいのでエレベータのようにゆっくりした周期で揺れます。
これがまた気持ちの悪い事!
普段あまり揺れないので、気持ちが悪くなるときがありました(笑
原油を積んでいると喫水が下がるのでマラッカ海峡は通過できません。
たしか、ロンボック海峡を通って日本の港に入ったような記憶があります。
もちろん運河もNGですが、主にPG航路でしたのであまり問題はなかったようです。
古きよき時代の、船の無線室でした。
2009年08月10日
へっぽこ通信士航海日誌【番外編・船員手帳と...】
こんばんは、時々思い出したように書きますが許してください!
先日戸棚を整理しておりましたら懐かしいものが出てきました。
船員時代の船員手帳と肩章、それに予防接種の証明書などです。

船員手帳は当時の浜名郡舞阪町の役場で撮った覚えがあります。
沿岸漁業が主のこの地方で船員手帳を申請する人は少ないらしく、
2桁の番号を頂いておりました。
昔、イエローカードなるものがありましたね。
海外への渡航経験のあるご年配?の方でしたらご存知かもしれません。
先ずはコレラ。

次は天然痘。

そして最後は黄熱病ですね。

それぞれに有効期間がありました。
コレラの予防接種は頻繁に受けたような気がします。
スモールポックス(黄熱病)は確か10年に1度で良かったような。
古きよき時代は、なかなか面倒くさいことも多かったようですね!
先日戸棚を整理しておりましたら懐かしいものが出てきました。
船員時代の船員手帳と肩章、それに予防接種の証明書などです。

船員手帳は当時の浜名郡舞阪町の役場で撮った覚えがあります。
沿岸漁業が主のこの地方で船員手帳を申請する人は少ないらしく、
2桁の番号を頂いておりました。
昔、イエローカードなるものがありましたね。
海外への渡航経験のあるご年配?の方でしたらご存知かもしれません。
先ずはコレラ。

次は天然痘。

そして最後は黄熱病ですね。

それぞれに有効期間がありました。
コレラの予防接種は頻繁に受けたような気がします。
スモールポックス(黄熱病)は確か10年に1度で良かったような。
古きよき時代は、なかなか面倒くさいことも多かったようですね!
2009年08月07日
へっぽこ通信士航海日誌その12
アルゼンチン共和国 ロザリオ港
ブラジルのサントス港を後にして本船は同じブラジルのサルバドールに向かいました。
サルバドールではとうもろこしを積んでリオグランデへ、その後に確かロザリオに向かったような記憶があります。
地図で見ますと北へ戻ってまた南へ、そんな航路だったと思います。
何せもう25年ほど前の話になりますので記憶が定かでありません。
アルゼンチンのロザリオ港は首都のブエノスアイレスより内陸に位置しております。
ここへ行くのに本船はパラナ川をさかのぼって行きます。
総トン数約7万トンの本船が河川を航海していると不思議な気分になります。
いつもは四方が海ばかりの航海ですが、この時は南米の湿地帯が回りに見えてまるでドライブでもしているような感じでした。
大きな船が航海中に、大海原以外で回りの景色を楽しめるのは、スエズやパナマの運河を通過したり、入出港時のときぐらいでしょうか?
写真を撮っておかなかったのが残念です。
もっとも外の景色をのんびりと眺めることの出来るのは通信士ぐらいのもので、航海士は衝突防止のために緊張してワッチを機関士はエンジンルームでワッチをしていおります。
そうは言っても通信士であります私も、目はポールドの外の景色を、耳は500khzと16ch、2182khzを真剣にワッチしておりましたことを付け加えておきます。

写真はロザリオ港入港中の写真です。
外気温は低くかなり寒かったように記憶しております。
この日は、防寒服を着てアンテナの点検をしました。
碍子に塩がついて絶縁が悪くなりますので、定期的に真水で
洗ったり、アンテナワイヤーの磨耗を修理したり、バッテリーの
点検をしたりと停泊中もいろいろと仕事があります。
一番怖かったのはレーダーマストに登ってレーダーアンテナ(クルクルと回るやつです)
の表面に防水用のスリロンジを塗ることでした。
危険な作業ですので、本船の動揺が少ない停泊中にするのが通例となっています。
レーダーマストはハシゴをつかって上っていきます。
海面から約40メートルほどの高さになります。
怖いので、下を見ずに一気に上って行きます。
それでもやっぱり怖いのです。
しかしこれも仕事、学校の時は通信士は通信していれば良いと思っていたのが間違いでした。
理想と現実のギャップは多々ありますね!
そんな停泊中に休暇を頂くことが出来ます。
荷役に時間が掛かり、停泊が長引くほど陸に上がるチャンスが増えるのです。
ここロザリオ港では、夜に上陸して次の日の昼頃に帰ってきたような記憶があります。
おいしいものを頂いて、バーを数件ハシゴして、それからどこに行ったのか定かではありませんが翌日に呼んだタクシーの運転手に「ムーチョ・モスキート」とからかわれたのが妙に記憶に残っており ます!
(「ムーチョ・モスキート」・・・直訳しますと「蚊がたくさん居たね!」みたいなものですが、お分かりにならない方は直接メールでお尋ねください。)
もちろんロザリオの街並みもそれなりに堪能してきました。
アルゼンチンは南米のヨーロッパと呼ばれるだけあって歴史のある建物や街並みはヨーロッパのそれを思い出させます。
この後ホーン岬海峡を通って太平洋に出て遥かかなたの日本に向かいます。
1年以上も会っていない彼女は迎えに来てくれるのかな?
まだまだ何ヶ月も先のことを考えながらの長い航海が続きます。
☆へっぽこ通信士航海日誌はここで一旦終了となります。
これからは時間を見つけて、すこしずつ思い出しながら書いていきます。
楽しみにして頂いた方々、ありがとうございます。
お店のブログは毎日更新しておりますのでご覧下さい。
http://yomoyama.mujit.shop-pro.jp/
ブラジルのサントス港を後にして本船は同じブラジルのサルバドールに向かいました。
サルバドールではとうもろこしを積んでリオグランデへ、その後に確かロザリオに向かったような記憶があります。
地図で見ますと北へ戻ってまた南へ、そんな航路だったと思います。
何せもう25年ほど前の話になりますので記憶が定かでありません。
アルゼンチンのロザリオ港は首都のブエノスアイレスより内陸に位置しております。
ここへ行くのに本船はパラナ川をさかのぼって行きます。
総トン数約7万トンの本船が河川を航海していると不思議な気分になります。
いつもは四方が海ばかりの航海ですが、この時は南米の湿地帯が回りに見えてまるでドライブでもしているような感じでした。
大きな船が航海中に、大海原以外で回りの景色を楽しめるのは、スエズやパナマの運河を通過したり、入出港時のときぐらいでしょうか?
写真を撮っておかなかったのが残念です。
もっとも外の景色をのんびりと眺めることの出来るのは通信士ぐらいのもので、航海士は衝突防止のために緊張してワッチを機関士はエンジンルームでワッチをしていおります。
そうは言っても通信士であります私も、目はポールドの外の景色を、耳は500khzと16ch、2182khzを真剣にワッチしておりましたことを付け加えておきます。

写真はロザリオ港入港中の写真です。
外気温は低くかなり寒かったように記憶しております。
この日は、防寒服を着てアンテナの点検をしました。
碍子に塩がついて絶縁が悪くなりますので、定期的に真水で
洗ったり、アンテナワイヤーの磨耗を修理したり、バッテリーの
点検をしたりと停泊中もいろいろと仕事があります。
一番怖かったのはレーダーマストに登ってレーダーアンテナ(クルクルと回るやつです)
の表面に防水用のスリロンジを塗ることでした。
危険な作業ですので、本船の動揺が少ない停泊中にするのが通例となっています。
レーダーマストはハシゴをつかって上っていきます。
海面から約40メートルほどの高さになります。
怖いので、下を見ずに一気に上って行きます。
それでもやっぱり怖いのです。
しかしこれも仕事、学校の時は通信士は通信していれば良いと思っていたのが間違いでした。
理想と現実のギャップは多々ありますね!
そんな停泊中に休暇を頂くことが出来ます。
荷役に時間が掛かり、停泊が長引くほど陸に上がるチャンスが増えるのです。
ここロザリオ港では、夜に上陸して次の日の昼頃に帰ってきたような記憶があります。
おいしいものを頂いて、バーを数件ハシゴして、それからどこに行ったのか定かではありませんが翌日に呼んだタクシーの運転手に「ムーチョ・モスキート」とからかわれたのが妙に記憶に残っており ます!
(「ムーチョ・モスキート」・・・直訳しますと「蚊がたくさん居たね!」みたいなものですが、お分かりにならない方は直接メールでお尋ねください。)
もちろんロザリオの街並みもそれなりに堪能してきました。
アルゼンチンは南米のヨーロッパと呼ばれるだけあって歴史のある建物や街並みはヨーロッパのそれを思い出させます。
この後ホーン岬海峡を通って太平洋に出て遥かかなたの日本に向かいます。
1年以上も会っていない彼女は迎えに来てくれるのかな?
まだまだ何ヶ月も先のことを考えながらの長い航海が続きます。
☆へっぽこ通信士航海日誌はここで一旦終了となります。
これからは時間を見つけて、すこしずつ思い出しながら書いていきます。
楽しみにして頂いた方々、ありがとうございます。
お店のブログは毎日更新しておりますのでご覧下さい。
http://yomoyama.mujit.shop-pro.jp/
2009年08月06日
へっぽこ通信士航海日誌その11
Port of Santos

本船は三光汽船「久光丸」、無線室でサロンさん、メスさんとお茶をしています。(停泊中のスナップです)
電話機のついた機械はインマルサットの海事衛星通信機です。これで日本まで電話をすると3分で2万円以上かかりました。
本船はブラジルはサントス港に入港すべく大西洋を南下中であります。サントス港はサンパウロの外港
(巨大都市サンパウロにいろいろな物を供給するための港)です。
ここでは約2週間の停泊、入港前から頭の中が現地のことで一杯です。
この道30年のボ-スンが10年前に来たと言うので皆、夜の肩振りはボ-スンの話に夢中で聞き入って
いました。

ブリッジデッキにてサントス港を望む。入港中なので肩章を付けています。
ほとんどの乗り組員がサントス入港は初めての事です。
船員さんにとって、陸に上がってスム-ズにそして楽しく遊ぶ為には事前の情報が命であります。
これを怠ると観光客が行く店で、高い酒を飲む事になるのです。
そんな訳でボ-スンの10年前の記憶を頼りに私達は上陸しました。

船員さん達御用達のバ-は港のすぐそばにありました。
テラス風の開放感のあるいかにも南国という造りのバ-がABCハウス、その隣が...名前を思い出せませんが
ちょっと気取った建物でダンスホ-ル風のお店でした。

停泊中の本船からサントスの町並みを望む。サンパウロの外港でもあり、貨物列車の走る線路が多数見えます。
写真の左側がサントスの港町になります。
ここで船員さん達は海の疲れを癒し、今宵のお供をゲットするわけであります。
ゲットするにも現地のしきたりというものがあります。
お国、お国でさまざまです。
ここサントスではタバコが合図であります!
女性が「パラミ・シガリ-ジョ・ポルファボ-ル」(タバコをいただけますか?)とやってきます。
「いいよ!」というわけでタバコを差し出し火を付けてあげると交渉成立となります。
このしきたりは、ボ-スンの10年前の知識には無かったらしく、私達は危うく、意に沿わない事をする一歩手前まで行きました。
先ほども書きましたが、あくまでもセニョリ-タが私達を選んでくるのです。
こちらからはダメであります。
しきたりも分かったので現地のビ-ルで一杯やりながら、お好みのセニョリ-タが来るまでは決してタバコには火をつけず、じっと我慢を
しておりました。
そんな甲斐もあって、私達はそれぞれ素晴らしいセニョリ-タと店を後にしたのでした。
2週間も停泊をしていると、海岸で海水浴をしたり、洒落たレストランで食事をしたり、いろいろと楽しい事が出来ます。
私は、買い物をしにサントスの町に出かけました。
当時の彼女にアクアマリンの指輪をサイズも分からず買った覚えがあります。
船員さん達の海の疲れを癒すのはやはり港町でありました。
次はアルゼンチンのロザリオについて記してみたいと思います。
続く・・・

本船は三光汽船「久光丸」、無線室でサロンさん、メスさんとお茶をしています。(停泊中のスナップです)
電話機のついた機械はインマルサットの海事衛星通信機です。これで日本まで電話をすると3分で2万円以上かかりました。
本船はブラジルはサントス港に入港すべく大西洋を南下中であります。サントス港はサンパウロの外港
(巨大都市サンパウロにいろいろな物を供給するための港)です。
ここでは約2週間の停泊、入港前から頭の中が現地のことで一杯です。
この道30年のボ-スンが10年前に来たと言うので皆、夜の肩振りはボ-スンの話に夢中で聞き入って
いました。

ブリッジデッキにてサントス港を望む。入港中なので肩章を付けています。
ほとんどの乗り組員がサントス入港は初めての事です。
船員さんにとって、陸に上がってスム-ズにそして楽しく遊ぶ為には事前の情報が命であります。
これを怠ると観光客が行く店で、高い酒を飲む事になるのです。
そんな訳でボ-スンの10年前の記憶を頼りに私達は上陸しました。

船員さん達御用達のバ-は港のすぐそばにありました。
テラス風の開放感のあるいかにも南国という造りのバ-がABCハウス、その隣が...名前を思い出せませんが
ちょっと気取った建物でダンスホ-ル風のお店でした。

停泊中の本船からサントスの町並みを望む。サンパウロの外港でもあり、貨物列車の走る線路が多数見えます。
写真の左側がサントスの港町になります。
ここで船員さん達は海の疲れを癒し、今宵のお供をゲットするわけであります。
ゲットするにも現地のしきたりというものがあります。
お国、お国でさまざまです。
ここサントスではタバコが合図であります!
女性が「パラミ・シガリ-ジョ・ポルファボ-ル」(タバコをいただけますか?)とやってきます。
「いいよ!」というわけでタバコを差し出し火を付けてあげると交渉成立となります。
このしきたりは、ボ-スンの10年前の知識には無かったらしく、私達は危うく、意に沿わない事をする一歩手前まで行きました。
先ほども書きましたが、あくまでもセニョリ-タが私達を選んでくるのです。
こちらからはダメであります。
しきたりも分かったので現地のビ-ルで一杯やりながら、お好みのセニョリ-タが来るまでは決してタバコには火をつけず、じっと我慢を
しておりました。
そんな甲斐もあって、私達はそれぞれ素晴らしいセニョリ-タと店を後にしたのでした。
2週間も停泊をしていると、海岸で海水浴をしたり、洒落たレストランで食事をしたり、いろいろと楽しい事が出来ます。
私は、買い物をしにサントスの町に出かけました。
当時の彼女にアクアマリンの指輪をサイズも分からず買った覚えがあります。
船員さん達の海の疲れを癒すのはやはり港町でありました。
次はアルゼンチンのロザリオについて記してみたいと思います。
続く・・・
2009年08月05日
へっぽこ通信士航海日誌その10
船員さんの制服姿は凛々しいものです。
私が船乗りになった理由のひとつでもあります。
濃紺の上等なサ-ジの生地でフルオ-ダ-です、テ-ラ-のおじさんが、新入社員のひとりひとりをメジャ-で採寸していきます。
制帽のサイズも計ってくれました。
そして約3週間後には自宅に仕立てたばかりの制服が届きました。

ダブルの上着に錨のマ-クの金ボタンが付いています。
袖には金のモ-ルが一本巻いてあります、そしてその下には通信士である印の細い緑色の帯が付いています。
これは3等通信士を意味するものであります。
航海士は、金のモ-ルだけですが、機関士は紫色、通信士は緑色、パ-サ-は白色、ドクタ-は確か赤色だったと思いますがどのパ-トの職員かわかるように金モ-ルの間や下側にこのような色の帯が巻かれていました。
これも海軍の名残だとか何かの本で読んだ記憶があります。
そんなわけで、これからこれを着て仕事をするのだなと思うと、とても嬉しくて嬉しくて...
しかし現実はそう思うようにはいきません。
実際に船に乗るときはス-ツ姿です。
そしてワッチの時は船内服といって、いわゆる作業服であります。
紺の制服は一度も着たことがありません。
唯一着たのは、初めて制服をいただいて、嬉しくて家で試着をした時の一回だけであります。

本船のブリッジデッキで・アルゼンチンのロザリオ港にて。
ご覧のとおり船内服です。寒いときのデッキでの作業では防寒服(ジャンパ-)を着ます。紺色のオ-バ-コ-トはありません。
乗船、下船は背広で、船内では船内服で、そして制服を持っていくのは停泊備蓄の時だけにせよ!
これは乗船前の研修で教えられたことでありまして、いわゆる新米が船内生活を波風立てずに過ごせるように、との先輩船乗りからのアドバイスでした。
以前にも書きましたように非常に封建的な社会であるにもかかわらず、軍隊ではありませんので、そこのところは社会人として先輩を立て、決して人を役職等で見下したりしてはいけない、というようなことを言っていたのでしょう。
今思うと、三光汽船という会社のカラ-が出ていて、良かったのではないかなと思います。
憧れの制服を着てワッチという夢はかなえられませんでしたが...
続きはサントス港での出来事です...
私が船乗りになった理由のひとつでもあります。
濃紺の上等なサ-ジの生地でフルオ-ダ-です、テ-ラ-のおじさんが、新入社員のひとりひとりをメジャ-で採寸していきます。
制帽のサイズも計ってくれました。
そして約3週間後には自宅に仕立てたばかりの制服が届きました。

ダブルの上着に錨のマ-クの金ボタンが付いています。
袖には金のモ-ルが一本巻いてあります、そしてその下には通信士である印の細い緑色の帯が付いています。
これは3等通信士を意味するものであります。
航海士は、金のモ-ルだけですが、機関士は紫色、通信士は緑色、パ-サ-は白色、ドクタ-は確か赤色だったと思いますがどのパ-トの職員かわかるように金モ-ルの間や下側にこのような色の帯が巻かれていました。
これも海軍の名残だとか何かの本で読んだ記憶があります。
そんなわけで、これからこれを着て仕事をするのだなと思うと、とても嬉しくて嬉しくて...
しかし現実はそう思うようにはいきません。
実際に船に乗るときはス-ツ姿です。
そしてワッチの時は船内服といって、いわゆる作業服であります。
紺の制服は一度も着たことがありません。
唯一着たのは、初めて制服をいただいて、嬉しくて家で試着をした時の一回だけであります。

本船のブリッジデッキで・アルゼンチンのロザリオ港にて。
ご覧のとおり船内服です。寒いときのデッキでの作業では防寒服(ジャンパ-)を着ます。紺色のオ-バ-コ-トはありません。
乗船、下船は背広で、船内では船内服で、そして制服を持っていくのは停泊備蓄の時だけにせよ!
これは乗船前の研修で教えられたことでありまして、いわゆる新米が船内生活を波風立てずに過ごせるように、との先輩船乗りからのアドバイスでした。
以前にも書きましたように非常に封建的な社会であるにもかかわらず、軍隊ではありませんので、そこのところは社会人として先輩を立て、決して人を役職等で見下したりしてはいけない、というようなことを言っていたのでしょう。
今思うと、三光汽船という会社のカラ-が出ていて、良かったのではないかなと思います。
憧れの制服を着てワッチという夢はかなえられませんでしたが...
続きはサントス港での出来事です...
2009年08月04日
へっぽこ通信士航海日誌その9
船の上でも正月はやってきます。
停泊中(ドック)と洋上のどちらも正月を体験いたしました。
本船は、長崎の三菱ドックに入渠中に正月を迎えました。
このときはすでに下船が決まっていましたが、後任の次席さんは1月5日にならないとやってきません。
ドックも正月の三日までは休みですが、後任が来て引継ぎが終わらなければ下船できないのが船の仕来りです。
ドックにに入渠中は船員さんたちはドックの寮で生活をします。
正月はやることもないのでレンタカ-を借りて雲仙まで行出かけたり
夜は寮で宴会をしたりして過ごしました。
雲仙へは、ボ-スンとセ-ラ-さん、メスさんと私で出かけて
温泉につかったり、温泉卵を食べたりして楽しい正月を過ごすことが出来ました。

写真は左からクォ-タ-マスタ-と私、セ-ラ-さんです。
雪の長崎を買出しに出かけて鍋で一杯といったところです。
船では味わうことの出来ないドックでの思い出です。
元旦には局長さんの奥さんが長崎まで来ていましたので、お雑煮を頂いた記憶があります。
内地の停泊が長くなると船員さんが家族を呼び寄せる事は良く有ります。
次の寄港地が国内ならばそこまで乗船していくことも可能です
その後無事後任の次席さんが到着。
ドック内の本船で引継ぎを行い無事下船。
飛行機が取れなかったので、夜行電車で博多まで。
博多からは新幹線で一路故郷の浜松へ、近づく故郷の風景を懐かしく感じたのを思い出します。
航海中も正月はやってきます。
正月用に特別の献立があります。賄いの皆が腕によりを掛けて正月料理を作ってくれます。
もちろん鯛の御頭付で赤飯もあったような気がします。
キャプテンの訓示からカラオケの余興が朝から始まり、それぞれがワッチの時間になると持ち場に戻って行きます。
私も朝から一杯やって、0-4のワッチですので11時45分に無線室へ引継ぎに入りました。
今だから言えますが、正に飲酒ワッチであります。
かなりの量を朝からやっつけましたので無線室のイスに座っているのがやっとの状態です。
それでも500KHzだけは聞き耳を立てて聞いています。通信士の性というやつでしょうか...
特に電報も無く、沈黙時間と海岸局の一括呼び出しのみをNILでログに記載して局長さんと交代です。
4時間酒が抜けたので5時からの夕食はまた晩酌から始まりです。
今度はそこそこにして8時からのワッチに備えて仮眠を取ります。でも猛者はワッチ、酒、ワッチ、酒で正月を過ごすようです。
しかしながらこれも大洋航海中のことであり、峡水道通過の時や、入港、出港時は酒など一切入りません。
とにかく古きよき時代の船の正月、思いつくまま書いてみました。
停泊中(ドック)と洋上のどちらも正月を体験いたしました。
本船は、長崎の三菱ドックに入渠中に正月を迎えました。
このときはすでに下船が決まっていましたが、後任の次席さんは1月5日にならないとやってきません。
ドックも正月の三日までは休みですが、後任が来て引継ぎが終わらなければ下船できないのが船の仕来りです。
ドックにに入渠中は船員さんたちはドックの寮で生活をします。
正月はやることもないのでレンタカ-を借りて雲仙まで行出かけたり
夜は寮で宴会をしたりして過ごしました。
雲仙へは、ボ-スンとセ-ラ-さん、メスさんと私で出かけて
温泉につかったり、温泉卵を食べたりして楽しい正月を過ごすことが出来ました。

写真は左からクォ-タ-マスタ-と私、セ-ラ-さんです。
雪の長崎を買出しに出かけて鍋で一杯といったところです。
船では味わうことの出来ないドックでの思い出です。
元旦には局長さんの奥さんが長崎まで来ていましたので、お雑煮を頂いた記憶があります。
内地の停泊が長くなると船員さんが家族を呼び寄せる事は良く有ります。
次の寄港地が国内ならばそこまで乗船していくことも可能です
その後無事後任の次席さんが到着。
ドック内の本船で引継ぎを行い無事下船。
飛行機が取れなかったので、夜行電車で博多まで。
博多からは新幹線で一路故郷の浜松へ、近づく故郷の風景を懐かしく感じたのを思い出します。
航海中も正月はやってきます。
正月用に特別の献立があります。賄いの皆が腕によりを掛けて正月料理を作ってくれます。
もちろん鯛の御頭付で赤飯もあったような気がします。
キャプテンの訓示からカラオケの余興が朝から始まり、それぞれがワッチの時間になると持ち場に戻って行きます。
私も朝から一杯やって、0-4のワッチですので11時45分に無線室へ引継ぎに入りました。
今だから言えますが、正に飲酒ワッチであります。
かなりの量を朝からやっつけましたので無線室のイスに座っているのがやっとの状態です。
それでも500KHzだけは聞き耳を立てて聞いています。通信士の性というやつでしょうか...
特に電報も無く、沈黙時間と海岸局の一括呼び出しのみをNILでログに記載して局長さんと交代です。
4時間酒が抜けたので5時からの夕食はまた晩酌から始まりです。
今度はそこそこにして8時からのワッチに備えて仮眠を取ります。でも猛者はワッチ、酒、ワッチ、酒で正月を過ごすようです。
しかしながらこれも大洋航海中のことであり、峡水道通過の時や、入港、出港時は酒など一切入りません。
とにかく古きよき時代の船の正月、思いつくまま書いてみました。
2009年08月03日
へっぽこ通信士航海日誌その8
国家石油備蓄政策 というものがあります。
これは不測の事態に備えて陸のタンクや洋上のタンカ-に原油を積んで備蓄しておくものです。
48万トンのタンカ-に原油をいっぱい積んで硫黄島西方の海域を3ヶ月間漂泊するのです。
本船は、三光汽船仁光丸、総トン数約48万トン。
船首から船尾までの長さは約380メ-トル、幅、約80メ-トルの巨大タンカ-であります。
漂泊 とは、海の上で船が当てもなくプカプカト浮いている状態を思い浮かべてください。
3ヶ月間、決められた海域からはみ出さないように、見張りをしてその海域に留まるのが仕事であります。
したがって、とても暇な毎日が続きます。
我々 無線部は毎日の気象電報や共同通信社のFAX新聞、天気図を受信するのが主な仕事となります。
その他、乗組員の家族への電話(KDDの運用する短波公衆無線電話局でJBO-TOKYO RADIO)
の取り扱いも行います。
このJBOは限られた回線をそれを上回る船舶が予約を取るべく呼び出しをするので、まさにDXをコ-ルする
アマチュア無線のパイルアップそのものです。
幸い私はハムでパイルアップ大好きでしたので、比較的早い順番でこのリストの載ることができました。
話を元に戻しますが、洋上備蓄では1に食事、2に食事、3,4、がなくて5に食事と言っても良いほど娯楽がありません。
食事とともに楽しみは、やはりワッチの後の一杯です。
酒には肴も必要です。
この酒の肴はデッキから釣り糸をたらして調達します。
でかいイカはもちろんのこと、船尾あたりではメジナ、オヤシさんはよくカツオを釣って裁いてくれました。
洋上備蓄は内航扱いです。
乗組員の酒やタバコにすべて税金がかかります。
つまり免税品の酒やタバコはありません。
したがって普段はジョニ-ウオ-カ-やブランデ-を嗜む船員さんも焼酎をたくさん積んで沖にでます。
特に 薩摩白波 という芋焼酎が人気でした。
この焼酎は、芋から出来ているので、最初は匂いが気になるのですがすぐになれてしまいます。
ワッチの後のお友達はいつも芋焼酎!
みんな芋臭い息でカタフリをしています。

サ-ドオフィサ-の鈴木君(左)と私(右) (彼の自室で)
しかしながらタバコに関してはいかんともし難く、税金をたっぷり含んだタバコを吸っておりました。
ビデオもしかり、出航時に新しいビデオが積まれますがせいぜい10巻ぐらいです。
どの映画も何回も見ています。
どこの場面でどの俳優がどんなセリフを言うのかも分かります。
それでもやっぱり又、見てしまうのです。
そして同じところで泣き、同じところで笑うんです。

サ-ドエンジニアの本林君(右)と私(左) (彼の自室で)
鈴木三等航海士と本林三等機関士と私は同年齢で船内生活も楽しいものでした。
そんな生活を3ヶ月間、やっと船は港に入ります。
そして約3日間の補給後、また漂泊海域に戻っていくのです。
これを合計3回、9ヶ月続けてやっと下船、娑婆に戻って次の乗船命令を待ちます。
次はバラ積み船に乗りたい!
会社にも希望を出し続けています。
続く…
これは不測の事態に備えて陸のタンクや洋上のタンカ-に原油を積んで備蓄しておくものです。
48万トンのタンカ-に原油をいっぱい積んで硫黄島西方の海域を3ヶ月間漂泊するのです。
本船は、三光汽船仁光丸、総トン数約48万トン。
船首から船尾までの長さは約380メ-トル、幅、約80メ-トルの巨大タンカ-であります。
漂泊 とは、海の上で船が当てもなくプカプカト浮いている状態を思い浮かべてください。
3ヶ月間、決められた海域からはみ出さないように、見張りをしてその海域に留まるのが仕事であります。
したがって、とても暇な毎日が続きます。
我々 無線部は毎日の気象電報や共同通信社のFAX新聞、天気図を受信するのが主な仕事となります。
その他、乗組員の家族への電話(KDDの運用する短波公衆無線電話局でJBO-TOKYO RADIO)
の取り扱いも行います。
このJBOは限られた回線をそれを上回る船舶が予約を取るべく呼び出しをするので、まさにDXをコ-ルする
アマチュア無線のパイルアップそのものです。
幸い私はハムでパイルアップ大好きでしたので、比較的早い順番でこのリストの載ることができました。
話を元に戻しますが、洋上備蓄では1に食事、2に食事、3,4、がなくて5に食事と言っても良いほど娯楽がありません。
食事とともに楽しみは、やはりワッチの後の一杯です。
酒には肴も必要です。
この酒の肴はデッキから釣り糸をたらして調達します。
でかいイカはもちろんのこと、船尾あたりではメジナ、オヤシさんはよくカツオを釣って裁いてくれました。
洋上備蓄は内航扱いです。
乗組員の酒やタバコにすべて税金がかかります。
つまり免税品の酒やタバコはありません。
したがって普段はジョニ-ウオ-カ-やブランデ-を嗜む船員さんも焼酎をたくさん積んで沖にでます。
特に 薩摩白波 という芋焼酎が人気でした。
この焼酎は、芋から出来ているので、最初は匂いが気になるのですがすぐになれてしまいます。
ワッチの後のお友達はいつも芋焼酎!
みんな芋臭い息でカタフリをしています。

サ-ドオフィサ-の鈴木君(左)と私(右) (彼の自室で)
しかしながらタバコに関してはいかんともし難く、税金をたっぷり含んだタバコを吸っておりました。
ビデオもしかり、出航時に新しいビデオが積まれますがせいぜい10巻ぐらいです。
どの映画も何回も見ています。
どこの場面でどの俳優がどんなセリフを言うのかも分かります。
それでもやっぱり又、見てしまうのです。
そして同じところで泣き、同じところで笑うんです。

サ-ドエンジニアの本林君(右)と私(左) (彼の自室で)
鈴木三等航海士と本林三等機関士と私は同年齢で船内生活も楽しいものでした。
そんな生活を3ヶ月間、やっと船は港に入ります。
そして約3日間の補給後、また漂泊海域に戻っていくのです。
これを合計3回、9ヶ月続けてやっと下船、娑婆に戻って次の乗船命令を待ちます。
次はバラ積み船に乗りたい!
会社にも希望を出し続けています。
続く…
2009年08月02日
へっぽこ通信士航海日誌その7
オ-マンという国があります。
ペルシャ湾に面した石油の産出国です。
通信士の仕事には検疫、入国、税関の3つのオフィサ-との折衝、接待も含まれております。
オ-マン入国に際しても、」やはりこの三つの仕事を避けることはできません。
検疫は、無線検疫といって電報やテレックスで事前に済ますことが出来ますが、入国管理官と税関職員は必ず船にやってきます。
入国管理官は、乗り組員全員のパスポ-トを確認したり、上陸するときの上陸証などの発給を行います。
税関は、この国では特に厄介でした。
イスラムの国では、「酒」は基本的にご法度です。
もちろん「ポルノ」もです。
したがって、船員さんたちの唯一の楽しみである「酒」や「ビデオ」(このころはまだ8ミリもありました!)や
「絵本」はひとつの部屋にしまって扉を封印しなければいけません。
これを「シ-ル」といって、面倒くさい仕事のひとつでした。
しかし、しかしです、これらの官史は接待を要求してきます。
そうしないと仕事がスム-ズに進まないのです。
接待とは、この国では本当はご法度の「酒」(ビ-ルが多いのですが)を出したり、お土産に持たせたりすることです。
通信長も心得たもので、ビ-ルをシ-ルせずに2ケ-スほど冷蔵庫に入れてあり、これを出したり
お土産に持たせたりしていました。
そうでもしないと無事に入国や通関が出来ないのです。
発展途上国ほどこんなことは日常茶飯事で、まさに「役得」なのです。
入国といっても、実際に乗組員が陸に上がることではなく、船がその国の岸壁に付いたり
沖のシ-バ-スに付いたりすればそれが入国となります。
通関も、やはり船が岸壁に付いたら、すべてその国の法律に従えということで行われます。
そんなわけで無事にオ-マンに入港して、原油の荷役が始まりました。
初めてのアラブの国、上陸できるのかと期待していたのですが、今回は上陸許可は下りませんでした。
約三日間、無事に原油を積んだ我「月光丸」は又、同じ航路を日本の喜入港に向けて旅立ったのです。
それは後1ヶ月半は陸に上がれないということを意味するのでした。
残念!
しかし、この後、もっと長い間陸にさよならすることになるとは思ってもいませんでした。
それは「洋上備蓄」というものでした。

インド洋航行中は、船内レクリエ-ションとして「船上ソフトボ-ル大会」が行われます。
球は、ウエスで出来ています。
打っても海に落ちればアウトです!
続く...
ペルシャ湾に面した石油の産出国です。
通信士の仕事には検疫、入国、税関の3つのオフィサ-との折衝、接待も含まれております。
オ-マン入国に際しても、」やはりこの三つの仕事を避けることはできません。
検疫は、無線検疫といって電報やテレックスで事前に済ますことが出来ますが、入国管理官と税関職員は必ず船にやってきます。
入国管理官は、乗り組員全員のパスポ-トを確認したり、上陸するときの上陸証などの発給を行います。
税関は、この国では特に厄介でした。
イスラムの国では、「酒」は基本的にご法度です。
もちろん「ポルノ」もです。
したがって、船員さんたちの唯一の楽しみである「酒」や「ビデオ」(このころはまだ8ミリもありました!)や
「絵本」はひとつの部屋にしまって扉を封印しなければいけません。
これを「シ-ル」といって、面倒くさい仕事のひとつでした。
しかし、しかしです、これらの官史は接待を要求してきます。
そうしないと仕事がスム-ズに進まないのです。
接待とは、この国では本当はご法度の「酒」(ビ-ルが多いのですが)を出したり、お土産に持たせたりすることです。
通信長も心得たもので、ビ-ルをシ-ルせずに2ケ-スほど冷蔵庫に入れてあり、これを出したり
お土産に持たせたりしていました。
そうでもしないと無事に入国や通関が出来ないのです。
発展途上国ほどこんなことは日常茶飯事で、まさに「役得」なのです。
入国といっても、実際に乗組員が陸に上がることではなく、船がその国の岸壁に付いたり
沖のシ-バ-スに付いたりすればそれが入国となります。
通関も、やはり船が岸壁に付いたら、すべてその国の法律に従えということで行われます。
そんなわけで無事にオ-マンに入港して、原油の荷役が始まりました。
初めてのアラブの国、上陸できるのかと期待していたのですが、今回は上陸許可は下りませんでした。
約三日間、無事に原油を積んだ我「月光丸」は又、同じ航路を日本の喜入港に向けて旅立ったのです。
それは後1ヶ月半は陸に上がれないということを意味するのでした。
残念!
しかし、この後、もっと長い間陸にさよならすることになるとは思ってもいませんでした。
それは「洋上備蓄」というものでした。

インド洋航行中は、船内レクリエ-ションとして「船上ソフトボ-ル大会」が行われます。
球は、ウエスで出来ています。
打っても海に落ちればアウトです!
続く...
2009年08月01日
へっぽ通信士航海日誌・番外編【運河】
3年間の船員生活でパナマ、スエズの両運河を通ることが出来ました。
パナマ運河
初めてのパナマ運河通過です。
パナマ運河は、真ん中にある湖、ガツン湖までかなりの標高差があります。
したがって、水門に入って水を注入、次の水の高さに合わせます。
その時、本船を引いてくれるのは日本製のディーゼル機関車でした。

それを数回、ガツン湖に入って先を急ぎます。
大西洋に出るには、今度は標高が下がるので、同じようなことを数回。
やっと、太平洋から大西洋に出られます。
周りはジャングル地帯、時折見物席があって観光客が見ています。
皆手を振ってくれるのでスターになったような気分が味わえますね!

パナマ運河は太平洋と大西洋を結ぶ運河です。
ここを通過するのには順番を待つ必要があります。
写真のように沢山の船舶が運河通過の順番を待っています。
そのため、沖待ちが1日から2日間ぐらいあるので上陸可能です。
バルボアやクリストバルは、世界各国の船員たちの憩いの場です。
どんな憩いが待っているのでしょう?
港港に~有り!
そーですね、いわずと知れたそのようなものです!

スエズ運河
スエズ運河は、紅海と地中海を結ぶ運河です。
記憶では、水門のようなものは無かったような気がします。
周りを見渡すと、砂漠。
時折、中近東特有の建物が見られます。


上の写真はスエズ運河航行中の「久光丸」です。本船は紅海から入って地中海に抜けていきました。
パナマに比べると、ご覧のようにとても広々としています。残念ながらここでは上陸した事がありません。
本船はこれからベルギ-のアントワ-プに向かいます。
アントワープではどうやら上陸出来そうです!
・・・・・・・・・・続く
パナマ運河
初めてのパナマ運河通過です。
パナマ運河は、真ん中にある湖、ガツン湖までかなりの標高差があります。
したがって、水門に入って水を注入、次の水の高さに合わせます。
その時、本船を引いてくれるのは日本製のディーゼル機関車でした。

それを数回、ガツン湖に入って先を急ぎます。
大西洋に出るには、今度は標高が下がるので、同じようなことを数回。
やっと、太平洋から大西洋に出られます。
周りはジャングル地帯、時折見物席があって観光客が見ています。
皆手を振ってくれるのでスターになったような気分が味わえますね!

パナマ運河は太平洋と大西洋を結ぶ運河です。
ここを通過するのには順番を待つ必要があります。
写真のように沢山の船舶が運河通過の順番を待っています。
そのため、沖待ちが1日から2日間ぐらいあるので上陸可能です。
バルボアやクリストバルは、世界各国の船員たちの憩いの場です。
どんな憩いが待っているのでしょう?
港港に~有り!
そーですね、いわずと知れたそのようなものです!

スエズ運河
スエズ運河は、紅海と地中海を結ぶ運河です。
記憶では、水門のようなものは無かったような気がします。
周りを見渡すと、砂漠。
時折、中近東特有の建物が見られます。


上の写真はスエズ運河航行中の「久光丸」です。本船は紅海から入って地中海に抜けていきました。
パナマに比べると、ご覧のようにとても広々としています。残念ながらここでは上陸した事がありません。
本船はこれからベルギ-のアントワ-プに向かいます。
アントワープではどうやら上陸出来そうです!
・・・・・・・・・・続く
2009年07月31日
へっぽこ通信士航海日誌その6
サロンさんに今日の夕食の献立を尋ねるとなんとステ-キでした。
今、昼食を食べているにもかかわらず、すでに頭の中は夕食のステ-キの事でいっぱいです。
航海中はあまり楽しみが無いせいか、食事の献立は船乗りにとってとても重要なものです。
私の乗り込んだ「月光丸」もご多分に漏れずすばらしい食事でした。(シチョウジさんやオヤジサンたちありがとうございました。)
おかずは毎回5品以上出ます。
献立がステ-キの時などはサロンさんが肉の焼加減を聞きに来てくれます。
(とはいってもサロンさんも皆の焼加減はすでに頭の中に入っているのですが)
もちろん、ステ-キのお代わりも制限はありません。
サロンさんは皆が食事中はパントリ-の入り口で常に誰かのオーダ-に応えるべく待機しています。
一流ホテル顔負けです。
カレ-もまた特別の思い出があります。
船のカレ-には何故か「生卵」が付きます。
これを確、カレ-の上にかけて食べたような気がします。
カレ-と生卵、この組み合わせが今でも忘れられません。
手軽に食べられるので、主に入出港時の忙しい時に良く出たような気がします。
ここでサロンボ-イ(サロンさん)とメスロンボ-イ(メスさん)の違いを説明します。
ここに登場しているサロンボ-イとは、サロン士官の世話するボ-イさんをいいます。
メスロンボ-イは、メスロン士官の世話をするボ-イさんです。
前にも書きましたが略して「サロンさん」「メスさん」と呼んでいました。
本来はそうなのですが、後で書きますようにこの頃すでにサロン士官もメスロン士官も同じ食堂で食事をとっていましたので
食事の世話に関しては、サロンさんは(職員用食堂)をメスさんは(部員用食堂)を担当していました。
私(次席通信士)のベットメイキングをしてくれているメスさんの清水君です。
(彼も同様に清水の海員学校を卒業して、乗船してきた新米の司厨員でした。)

先ほども書いたとおり、私の乗っていた月光丸では、すでにメスロン士官とサロン士官は同じ食堂となっておりました。(名称は「サロン食堂」)
しかし、そこは船の世界、ちゃんと各人が座るべき席が決まっております。
たとえワッチの関係でその席が空いていても自分の座るべき席にしか座ってはいけないのです。
話はそれましたが、先ほどのボ-イさんたちは職員自室の清掃とベットメイキングまで担当いたします。
まさに、旧海軍の伝統を引き継いだような序列の厳しい世界でありました。
最近の船はどうなっているのでしょうか?陸に上がったカッパの今では全くわかりません。
乗組員も日本人ばかりではないようですし、かなり少ない人数で運行しているようですの
でかつてのようなことはないのでしょうか?
そんなわけで「員外通信士」の私こと「へっぽこ通信士」も「見習い士官」としてサロン
食堂で食事をとることが許されました。
・・・・・・・続く
今、昼食を食べているにもかかわらず、すでに頭の中は夕食のステ-キの事でいっぱいです。
航海中はあまり楽しみが無いせいか、食事の献立は船乗りにとってとても重要なものです。
私の乗り込んだ「月光丸」もご多分に漏れずすばらしい食事でした。(シチョウジさんやオヤジサンたちありがとうございました。)
おかずは毎回5品以上出ます。
献立がステ-キの時などはサロンさんが肉の焼加減を聞きに来てくれます。
(とはいってもサロンさんも皆の焼加減はすでに頭の中に入っているのですが)
もちろん、ステ-キのお代わりも制限はありません。
サロンさんは皆が食事中はパントリ-の入り口で常に誰かのオーダ-に応えるべく待機しています。
一流ホテル顔負けです。
カレ-もまた特別の思い出があります。
船のカレ-には何故か「生卵」が付きます。
これを確、カレ-の上にかけて食べたような気がします。
カレ-と生卵、この組み合わせが今でも忘れられません。
手軽に食べられるので、主に入出港時の忙しい時に良く出たような気がします。
ここでサロンボ-イ(サロンさん)とメスロンボ-イ(メスさん)の違いを説明します。
ここに登場しているサロンボ-イとは、サロン士官の世話するボ-イさんをいいます。
メスロンボ-イは、メスロン士官の世話をするボ-イさんです。
前にも書きましたが略して「サロンさん」「メスさん」と呼んでいました。
本来はそうなのですが、後で書きますようにこの頃すでにサロン士官もメスロン士官も同じ食堂で食事をとっていましたので
食事の世話に関しては、サロンさんは(職員用食堂)をメスさんは(部員用食堂)を担当していました。
私(次席通信士)のベットメイキングをしてくれているメスさんの清水君です。
(彼も同様に清水の海員学校を卒業して、乗船してきた新米の司厨員でした。)

先ほども書いたとおり、私の乗っていた月光丸では、すでにメスロン士官とサロン士官は同じ食堂となっておりました。(名称は「サロン食堂」)
しかし、そこは船の世界、ちゃんと各人が座るべき席が決まっております。
たとえワッチの関係でその席が空いていても自分の座るべき席にしか座ってはいけないのです。
話はそれましたが、先ほどのボ-イさんたちは職員自室の清掃とベットメイキングまで担当いたします。
まさに、旧海軍の伝統を引き継いだような序列の厳しい世界でありました。
最近の船はどうなっているのでしょうか?陸に上がったカッパの今では全くわかりません。
乗組員も日本人ばかりではないようですし、かなり少ない人数で運行しているようですの
でかつてのようなことはないのでしょうか?
そんなわけで「員外通信士」の私こと「へっぽこ通信士」も「見習い士官」としてサロン
食堂で食事をとることが許されました。
・・・・・・・続く
2009年07月30日
へっぽこ通信士航海日誌その5
船酔いとは恐ろしいものです。
とにかく、船の中のこと、逃げる場所がありません。
この、とてつも無く苦しい状態を抜け出すのには船から飛び降りるしかないのです。
でも、そこは海の上です。飛び降りただけで心臓マヒで死んでしまうほどの冷たい
海であったり、時にはサメのウヨウヨいる海であったりで、とてもそんなことは
出来ません。
ですから、だだひたすら耐えるだけなのです。
本船のブリッジから船首を見ています。
写真のように「べた凪」の日ばかりならば良いのですが・・・

港を出てから1週間、毎日キモチワルイの連続です
椅子に座って、業務日誌を書くだけでゲロが出ます。飯は、見るのも嫌です。
何か食べても、すぐに戻してしまいます。
でも、何も食べないとよけいキモチワルイのです。
ちょうど、二日酔いで、「金輪際サケは、飲まないぞ!」と、誓っている朝を
思い出してください。
誰でも1度や2度は、経験のあることだと思います。
でも、仕事は休むわけには行きません。
と、言うより、休ませてくれません。
考えてみれば当たり前のことでして、船乗りが船酔いで仕事が出来ないなんて
シャレにもなりませんからね。Hi
てなわけで、1週間で約5キロ程痩せてしまいました。
でも、人間のからだとは本当によくできているものでだんだんこの状態になれて
くるのです。
昨日まで、飯も食えないほどの船酔いだったのに、今日はもう大丈夫。
船が揺れると、体のあちらこちらに力が入りますから疲れます。
疲れるから体力も消耗する、すると腹が減る、飯が食える。
と、まあこんな具合にだんだんと、自分のからだが船の揺れに慣れていくのです。
そうすると、もうこっちのものです。
船の上のこと、あまり娯楽もありません。
楽しみといえば食事です。
もう、朝飯を食っているときから、今日の昼飯と晩飯が何であるか気になります。
「船の食事はホテルの食事」と言われますが、さすがに素晴らしいものです。
.....続く
とにかく、船の中のこと、逃げる場所がありません。
この、とてつも無く苦しい状態を抜け出すのには船から飛び降りるしかないのです。
でも、そこは海の上です。飛び降りただけで心臓マヒで死んでしまうほどの冷たい
海であったり、時にはサメのウヨウヨいる海であったりで、とてもそんなことは
出来ません。
ですから、だだひたすら耐えるだけなのです。
本船のブリッジから船首を見ています。
写真のように「べた凪」の日ばかりならば良いのですが・・・

港を出てから1週間、毎日キモチワルイの連続です
椅子に座って、業務日誌を書くだけでゲロが出ます。飯は、見るのも嫌です。
何か食べても、すぐに戻してしまいます。
でも、何も食べないとよけいキモチワルイのです。
ちょうど、二日酔いで、「金輪際サケは、飲まないぞ!」と、誓っている朝を
思い出してください。
誰でも1度や2度は、経験のあることだと思います。
でも、仕事は休むわけには行きません。
と、言うより、休ませてくれません。
考えてみれば当たり前のことでして、船乗りが船酔いで仕事が出来ないなんて
シャレにもなりませんからね。Hi
てなわけで、1週間で約5キロ程痩せてしまいました。
でも、人間のからだとは本当によくできているものでだんだんこの状態になれて
くるのです。
昨日まで、飯も食えないほどの船酔いだったのに、今日はもう大丈夫。
船が揺れると、体のあちらこちらに力が入りますから疲れます。
疲れるから体力も消耗する、すると腹が減る、飯が食える。
と、まあこんな具合にだんだんと、自分のからだが船の揺れに慣れていくのです。
そうすると、もうこっちのものです。
船の上のこと、あまり娯楽もありません。
楽しみといえば食事です。
もう、朝飯を食っているときから、今日の昼飯と晩飯が何であるか気になります。
「船の食事はホテルの食事」と言われますが、さすがに素晴らしいものです。
.....続く
2009年07月29日
へっぽこ通信士航海日誌その4

本船「月光丸」は、次の航海をレッドシー(紅海)のヤンブーという港に向けて
出発することになりました。
「本船」って言いますよね船員さんは。
この「本船」と言うのは、「日本の船」を略して言う、という説と、「この船」
という意味の「本船」である、という2つの説があります。
どちらが、正しいのかはいまだに分かりませんが、とにかく自分の乗っている
船のことを船員さん達は、こう呼んでいます。
さて、話はもとに戻りますが、「ヤンブー」という港に行くらしいのです。
アラビア半島をはさんで、どちらが紅海で、どちらがペルシャ湾だろうか?
もう一度、地図を見て良く確認しておこう! やっぱりそうだ、このスエズ
運河につながっている西側の海が紅海です。
これから、ここ、鹿児島は喜入港からやく1カ月をかけて本船は、紅海にむけて
旅立つのです。
平均速度は、約9ノット(1ノット=1ノーティカルマイル=1カイリ=1852m)
早い話が、1時間に約17km程進みます。
自転車をぼちぼち走らせているようなものですね。
さて、出向準備も慌ただしく、局長さんの手伝い(いや、邪魔)をしているうちに
本船は、喜入港を出帆していきました。
「次席さん、TRいれといてくれ」局長さんが、言いました。
「JOS JOS DE JFCH JFCH NW QTO キイレ K」
「JFCH DE JOS R TR NIL TU SK ・・」
[JOS DE JFCH TU SK・・」
[TU・・」
「・・」
と、まあこんな風にやれば良いのですが、何せ初めてのこと、局長さんにいろいろと
教えてもらいながら、やっとの思いでTR(船舶の動静を海岸局に知らせる業務報)
を入れることが出来ました。
ここでちょっと説明しますと、JOS・・・・長崎無線局(NTT)
JFCH・・・月光丸の呼び出し符号
QTO・・・・Q符号です。「出港」の意味
NIL・・・・着局あての電報は、有りません。
後は、アマチュア無線と同じです。ちゃんと、最後の・・(ちょんちょん)も
やりまっせ!
無事、TRをいれて一服していると、キャプテンが無線室に入ってきました。
「局長さん、会社に電報入れといて、はいこれね」と、電報用紙を置いていきました。
この電報、てっきり局長さんが打つと思っていた私は、無事TRを長崎無線局に
入れることが出来たので、すっかりと一仕事終えた満足感に浸っておりました。
しかし、しかし現実は、厳しいものです!
これから通信士として、初めての電報を送信することになるのです。
それもこんなに早く来るとは思ってもいませんでした...
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く
2009年07月28日
へっぽこ通信士航海日誌その3
無線室ってどこかな?
おっと、目の前にあるじゃありませんか!
キャプテンの部屋を出ると、すぐ目の前に[RADIO OFFICE」
のプレートを張った部屋が目に入りました。

扉もあいていて、中の無線設備が、目に飛び込んできました。スゲー!
こんな無線機、家にあったらいいのにな~、メイン受信機とサブ受信機そして
メインの送信機は、出力1KW、補助送信機で50W、それからFAX受信機や
オートアラーム(遭難信号を受信すると、アラームが鳴るもので、通信士2名体制
のときの、執務時間外にスイッチを入れておく)そのほかにも色々な機械類が
整然と並んでおります。
机の前では、局長さんらしき人が、なにやら書類を整理しております。
「こんにちは、交代でやってきました3等通信士の伊藤です。」
「ご苦労様、今、次席さんを呼ぶからちょっとまってて」
"次席さん"とは、2等通信士の事です。しばらくすると次席さんがやってきて
自室に案内してくれました。着替えをすませて無線室に向かいます。
ここでちょっと説明しておきますが、私はこの次席さんが休暇で下船するので
その交替として、本船に乗り込んできたわけです。
したがって、「3等通信士」として辞令を受けておりますが、通信士は、通信長と私の
2名しか居りませんので「2等通信士」としての職務をするわけです。
しかしながら、海技免状(甲種船舶通信士、現在は「1級海技士(通信)」という)を
もっておらない新米なので、海員名簿には「員外通信士」と書かれ、雇い入れを
されるわけです。なんとも複雑な職名であります。
ま~とにかく、新米の見習い通信士でありまして、見るもの聞くもの全てが、
"ちんぷんかんぷん"であることだけは確かです。
さて、前任の次席さんに連れられて、各部署(甲板部、機関部、事務部)への挨拶
回りも無事終わり、次はいよいよ無線部の引き継ぎです。
無線室の中では、無線機の操作のしかた、FAXの受信のしかた、それから"SOS"
の自動送信装置の動かしかたなどを教わったり、無線室以外では空中線の状態や
バッテリーの保守、点検についてや、はたまた"PX"(船内販売)の倉庫やその
棚卸しについてなど、いろいろと説明を受けました。
「いや~、通信士って、無線だけやってればいいと思っていたけどこんなことまで、
やるのか~」と、今更言っても始まりません。
次席さん、親切に教えてくれましたが、なかなか一度では覚えきれません。
そーこーしているうちに次席さん「それじゃ~頼みます」といって下船して
しまいました。
ところで、前回、船舶部員の通称を書きましたので、今回は、船舶職員の職名と
その通称を書いてみます。
職名 通称
船長 CAPTAIN キャプテン
一等航海士 CHIEF-OFFICER チョッサー
2等航海士 2ND - OFFICER セカンドオフィサー
3等航海士 3RD - OFFICER サードオフィサー
機関長 CHIEF-ENGINNER チェンジャー
一等機関士 1ST - ENGINNER ファッセンジャー
2等機関士 2ND - ENGINNER セカンドエンジャー
3等機関士 3RD - ENGINNER サードエンジャー
通信長 CHIEF RADIO OFFICER 局長さん
2等通信士 2ND RADIO OFFICER 次席さん
と、まあこれらの人が「船舶職員」と言うわけですが、先に説明した乗組員の皆さん、
「ボースン」とか、「ナンバン」などの「船舶部員」とは、なにが違うのでしょうか?
両者とも、同じ人間です、別に何も変わるところはないのです。
しかし、しかしです、船の中と言うのは極めて封建的な社会でして、この辺の区別が
まるで軍隊のようにはっきりとしているのです。
昔の軍隊で言えば、職員は「士官」、部員は「下士官、兵隊」であり食堂も「職員用」
と、「部員用」が有ったり、タンカー等にある「スモーキングルーム」(タンカーでは
危険物(原油)を積んでいる関係で、スモーキングルーム以外での喫煙は、許可されて
いません。)もやはり、2つ有ります。その他、細部に渡り、細かな区別(差別)が
されております。
もっと昔は、職員に於いても「サロン士官」(船長、機関長、一等航海士、一等機関士
そして通信長)と「メスロン士官」(2、3等航海士、機関士、通信士以下の職員)
も食堂が別れており、一つの船になんと、3つもの食堂や休憩室が有ったそうです。
何とも、無駄なことでしょう。しかし、これが船の社会なのです。
そんなことも、全然知らずに、「これで思う存分トンツーができるわい」などと
甘い考えで、乗船してきた私こと「新米通信士」にこれから、いろいろな
アクシデントが、待ち構えておりました事は、皆さんにも軽~く想像がつくことでしょう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く
おっと、目の前にあるじゃありませんか!
キャプテンの部屋を出ると、すぐ目の前に[RADIO OFFICE」
のプレートを張った部屋が目に入りました。

扉もあいていて、中の無線設備が、目に飛び込んできました。スゲー!
こんな無線機、家にあったらいいのにな~、メイン受信機とサブ受信機そして
メインの送信機は、出力1KW、補助送信機で50W、それからFAX受信機や
オートアラーム(遭難信号を受信すると、アラームが鳴るもので、通信士2名体制
のときの、執務時間外にスイッチを入れておく)そのほかにも色々な機械類が
整然と並んでおります。
机の前では、局長さんらしき人が、なにやら書類を整理しております。
「こんにちは、交代でやってきました3等通信士の伊藤です。」
「ご苦労様、今、次席さんを呼ぶからちょっとまってて」
"次席さん"とは、2等通信士の事です。しばらくすると次席さんがやってきて
自室に案内してくれました。着替えをすませて無線室に向かいます。
ここでちょっと説明しておきますが、私はこの次席さんが休暇で下船するので
その交替として、本船に乗り込んできたわけです。
したがって、「3等通信士」として辞令を受けておりますが、通信士は、通信長と私の
2名しか居りませんので「2等通信士」としての職務をするわけです。
しかしながら、海技免状(甲種船舶通信士、現在は「1級海技士(通信)」という)を
もっておらない新米なので、海員名簿には「員外通信士」と書かれ、雇い入れを
されるわけです。なんとも複雑な職名であります。
ま~とにかく、新米の見習い通信士でありまして、見るもの聞くもの全てが、
"ちんぷんかんぷん"であることだけは確かです。
さて、前任の次席さんに連れられて、各部署(甲板部、機関部、事務部)への挨拶
回りも無事終わり、次はいよいよ無線部の引き継ぎです。
無線室の中では、無線機の操作のしかた、FAXの受信のしかた、それから"SOS"
の自動送信装置の動かしかたなどを教わったり、無線室以外では空中線の状態や
バッテリーの保守、点検についてや、はたまた"PX"(船内販売)の倉庫やその
棚卸しについてなど、いろいろと説明を受けました。
「いや~、通信士って、無線だけやってればいいと思っていたけどこんなことまで、
やるのか~」と、今更言っても始まりません。
次席さん、親切に教えてくれましたが、なかなか一度では覚えきれません。
そーこーしているうちに次席さん「それじゃ~頼みます」といって下船して
しまいました。
ところで、前回、船舶部員の通称を書きましたので、今回は、船舶職員の職名と
その通称を書いてみます。
職名 通称
船長 CAPTAIN キャプテン
一等航海士 CHIEF-OFFICER チョッサー
2等航海士 2ND - OFFICER セカンドオフィサー
3等航海士 3RD - OFFICER サードオフィサー
機関長 CHIEF-ENGINNER チェンジャー
一等機関士 1ST - ENGINNER ファッセンジャー
2等機関士 2ND - ENGINNER セカンドエンジャー
3等機関士 3RD - ENGINNER サードエンジャー
通信長 CHIEF RADIO OFFICER 局長さん
2等通信士 2ND RADIO OFFICER 次席さん
と、まあこれらの人が「船舶職員」と言うわけですが、先に説明した乗組員の皆さん、
「ボースン」とか、「ナンバン」などの「船舶部員」とは、なにが違うのでしょうか?
両者とも、同じ人間です、別に何も変わるところはないのです。
しかし、しかしです、船の中と言うのは極めて封建的な社会でして、この辺の区別が
まるで軍隊のようにはっきりとしているのです。
昔の軍隊で言えば、職員は「士官」、部員は「下士官、兵隊」であり食堂も「職員用」
と、「部員用」が有ったり、タンカー等にある「スモーキングルーム」(タンカーでは
危険物(原油)を積んでいる関係で、スモーキングルーム以外での喫煙は、許可されて
いません。)もやはり、2つ有ります。その他、細部に渡り、細かな区別(差別)が
されております。
もっと昔は、職員に於いても「サロン士官」(船長、機関長、一等航海士、一等機関士
そして通信長)と「メスロン士官」(2、3等航海士、機関士、通信士以下の職員)
も食堂が別れており、一つの船になんと、3つもの食堂や休憩室が有ったそうです。
何とも、無駄なことでしょう。しかし、これが船の社会なのです。
そんなことも、全然知らずに、「これで思う存分トンツーができるわい」などと
甘い考えで、乗船してきた私こと「新米通信士」にこれから、いろいろな
アクシデントが、待ち構えておりました事は、皆さんにも軽~く想像がつくことでしょう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く
2009年07月27日
へっぽこ通信士航海日誌その2
さて、"サンパン"ってやつを待つこと30分。
なにやら沖の方から小さな船が(いやボートと呼んだほうがいいかな?)
こちらに向かってくるのが見えます。
[あ~、あれがサンパンだな」これでやっと船にたどりつくことが出来るわい!
そうです。サンパン(通船)とは、岸壁でなくて、沖に停泊している船に、人や
物資を運ぶ船のことを言うのです。(偉そうに書きますが、後で知りました。Hi)
主にタンカー等は、危険物を積載しているのと、その図体の巨大さゆえ、岸壁に接岸
することはめったに有りません。
ほとんどが、シーバースといって、岸から500メートル位離れた場所にある
石油(原油)の荷役の出来る設備の有る場所(海です!)にアンカーを打って
そこで、荷役をするのです。
話は横道にそれましたが、やっとサンパンに乗り込むことが出来ました。
行き先は、**丸、++丸、月光丸とちゃんと私の乗り込む船の名前も書いて
有ります。先ずは、一安心!
気分も落ち着いてサンパンの中を見回してみると、後ろのほうに見慣れぬ制服を
来て、キャンバスで作った白いマドロス風の袋を肩にかついでいる、いかにも
船乗り!という男を見つけました。
[なんだ、こいつえらくきまってるやんけ」それにしても、あの制服、自衛隊?
いや、ちょっとちがいまっせ。商船士官ならネクタイして袖に金のモールでも
まいとるやろからそーでもないし・・・・(この男が後日登場する3羽ガラスの
一人、3等機関士の本林君でありました)。
こいつ、どの船に乗るんだろうか?そー思っているうちに、サンパンは緑色の
船体の"我が"[月光丸」の前で次第に速度を緩めていきました。
「なんだこりゃ~!」これはびっくり、噂には、聞いていましたがタンカーを
目の前にするのは、これが生まれて初めてです。
その、図体のでかさと言ったら・・・・まるで、ビルが海の上にニョッキと
建っているような感じです。
「これなら大丈夫、滅多なことでは沈没しないな」「でも、でかい船は、真っ二つ
に折れるというけれど・・・」な~んてことを考えているうちにサンパンは、月光丸
に張りつく様にして停止しました。
おっと、到着かな?バスじゃないので、[次は、**丸~、**丸~」なんて
運転手さん?は、言ってくれません。
自分で、船をちゃんと見ていて、そこで降りなければ又、陸に戻ってしまいます。
サンパンは、月光丸の舷梯(げんてい)、(すなわち、梯子のような急な階段が、船の
横に付いておりまして、これからこれを上っていくわけです)にぴたりと張りついてお
おります。
海におっこちないように気をつけながら階段を上っていきました。(スゲー怖い!)
やっとの思いで、上甲板に出て、ふと後ろを振り返ると、そこには、さっきの変な
制服を来た野郎が、やはり緊張した面持ちで上甲板に上がってくるのが見えました。
[こいつ、何者だ?」「俺と、同じ船に乗るのか」と、言うことは、航海士、それとも
機関士?色々考えながらデッキを居住区の方へ歩いていきました。

居住区内です。左舷から右舷を見ています。
左側(船首側)が船長室、右側(船尾側)は無線部のロッカ-、階段を上がるとブリッジに出ます。
無線室は階段の前に在りますが、写真では見えません。
居住区というのは、読んで字の如く船員さん達が寝起きをしたりする建物のことです。
もちろん、ここに操舵室(ブリッジ)や無線室、そして食堂や喫煙室はたまたプールや
ちょっとした運動のできる部屋が集まっております。
そうはいっても、バカでかい船のことですから、この居住区だけでも6階建てのビル
のようなものです。いや、ビルそのものであります!
そんなわけで、このビルの中に入っていきました。例の男も一緒です。
「船に到着したら、まず一番最初に船長に着任の挨拶をしなさい。」鎌倉の研修所で
教わった言葉を思い出し、船長の部屋に向かいました。
船長(通称"キャプテン")は、だいたいブリッジの下、居住区の一番てっぺん
に住んでいます。この階には他に無線室や、たまには通信長(通称"局長さん)
の部屋が有るくらいです。
その他の船舶職員(1等航海士~3等航海士、機関長~3等機関士、2等通信士、たま
には、アップさん、と言って商船学校の5年生が見習い航海士や見習い機関士として
乗船してきますが、彼らも職員として扱われ同じ階に住む事が許されるのです。)
そしてその下の階には、船舶部員と言って、甲板長(ボースン)操舵手(クォーターマ
スター)甲板員(セーラー)操機長(ナンバン)操機手(ナンブトー、ナンブスリ
ー、ナンブフォー)、機関員(ファイヤーマン)
ナンバン・・・・・・ナンバーワンオイラー(NO1・OILER)
ナンブトー・・・・・ナンバーツーオイラー(NO2・OILER)
以下同様・・・・
それから、わが友達の皆さん、司厨長(チュウシチョー、または、シチョウジ)、
司厨手(オヤジさん)、司厨員(サロンさん、メスさん)
サロンさん・・・・・サロンボーイ
メスさん・・・・・・メスロンボーイ
と、まあこのような人たちが住んでおります。
またまた、横道にそれましたが無事キャプテンに挨拶をして、いざ我が職場となる
「無線室」へと向かいました。
・・・・・・・・・・・・・続く
なにやら沖の方から小さな船が(いやボートと呼んだほうがいいかな?)
こちらに向かってくるのが見えます。
[あ~、あれがサンパンだな」これでやっと船にたどりつくことが出来るわい!
そうです。サンパン(通船)とは、岸壁でなくて、沖に停泊している船に、人や
物資を運ぶ船のことを言うのです。(偉そうに書きますが、後で知りました。Hi)
主にタンカー等は、危険物を積載しているのと、その図体の巨大さゆえ、岸壁に接岸
することはめったに有りません。
ほとんどが、シーバースといって、岸から500メートル位離れた場所にある
石油(原油)の荷役の出来る設備の有る場所(海です!)にアンカーを打って
そこで、荷役をするのです。
話は横道にそれましたが、やっとサンパンに乗り込むことが出来ました。
行き先は、**丸、++丸、月光丸とちゃんと私の乗り込む船の名前も書いて
有ります。先ずは、一安心!
気分も落ち着いてサンパンの中を見回してみると、後ろのほうに見慣れぬ制服を
来て、キャンバスで作った白いマドロス風の袋を肩にかついでいる、いかにも
船乗り!という男を見つけました。
[なんだ、こいつえらくきまってるやんけ」それにしても、あの制服、自衛隊?
いや、ちょっとちがいまっせ。商船士官ならネクタイして袖に金のモールでも
まいとるやろからそーでもないし・・・・(この男が後日登場する3羽ガラスの
一人、3等機関士の本林君でありました)。
こいつ、どの船に乗るんだろうか?そー思っているうちに、サンパンは緑色の
船体の"我が"[月光丸」の前で次第に速度を緩めていきました。
「なんだこりゃ~!」これはびっくり、噂には、聞いていましたがタンカーを
目の前にするのは、これが生まれて初めてです。
その、図体のでかさと言ったら・・・・まるで、ビルが海の上にニョッキと
建っているような感じです。
「これなら大丈夫、滅多なことでは沈没しないな」「でも、でかい船は、真っ二つ
に折れるというけれど・・・」な~んてことを考えているうちにサンパンは、月光丸
に張りつく様にして停止しました。
おっと、到着かな?バスじゃないので、[次は、**丸~、**丸~」なんて
運転手さん?は、言ってくれません。
自分で、船をちゃんと見ていて、そこで降りなければ又、陸に戻ってしまいます。
サンパンは、月光丸の舷梯(げんてい)、(すなわち、梯子のような急な階段が、船の
横に付いておりまして、これからこれを上っていくわけです)にぴたりと張りついてお
おります。
海におっこちないように気をつけながら階段を上っていきました。(スゲー怖い!)
やっとの思いで、上甲板に出て、ふと後ろを振り返ると、そこには、さっきの変な
制服を来た野郎が、やはり緊張した面持ちで上甲板に上がってくるのが見えました。
[こいつ、何者だ?」「俺と、同じ船に乗るのか」と、言うことは、航海士、それとも
機関士?色々考えながらデッキを居住区の方へ歩いていきました。

居住区内です。左舷から右舷を見ています。
左側(船首側)が船長室、右側(船尾側)は無線部のロッカ-、階段を上がるとブリッジに出ます。
無線室は階段の前に在りますが、写真では見えません。
居住区というのは、読んで字の如く船員さん達が寝起きをしたりする建物のことです。
もちろん、ここに操舵室(ブリッジ)や無線室、そして食堂や喫煙室はたまたプールや
ちょっとした運動のできる部屋が集まっております。
そうはいっても、バカでかい船のことですから、この居住区だけでも6階建てのビル
のようなものです。いや、ビルそのものであります!
そんなわけで、このビルの中に入っていきました。例の男も一緒です。
「船に到着したら、まず一番最初に船長に着任の挨拶をしなさい。」鎌倉の研修所で
教わった言葉を思い出し、船長の部屋に向かいました。
船長(通称"キャプテン")は、だいたいブリッジの下、居住区の一番てっぺん
に住んでいます。この階には他に無線室や、たまには通信長(通称"局長さん)
の部屋が有るくらいです。
その他の船舶職員(1等航海士~3等航海士、機関長~3等機関士、2等通信士、たま
には、アップさん、と言って商船学校の5年生が見習い航海士や見習い機関士として
乗船してきますが、彼らも職員として扱われ同じ階に住む事が許されるのです。)
そしてその下の階には、船舶部員と言って、甲板長(ボースン)操舵手(クォーターマ
スター)甲板員(セーラー)操機長(ナンバン)操機手(ナンブトー、ナンブスリ
ー、ナンブフォー)、機関員(ファイヤーマン)
ナンバン・・・・・・ナンバーワンオイラー(NO1・OILER)
ナンブトー・・・・・ナンバーツーオイラー(NO2・OILER)
以下同様・・・・
それから、わが友達の皆さん、司厨長(チュウシチョー、または、シチョウジ)、
司厨手(オヤジさん)、司厨員(サロンさん、メスさん)
サロンさん・・・・・サロンボーイ
メスさん・・・・・・メスロンボーイ
と、まあこのような人たちが住んでおります。
またまた、横道にそれましたが無事キャプテンに挨拶をして、いざ我が職場となる
「無線室」へと向かいました。
・・・・・・・・・・・・・続く
2009年07月26日
へっぽこ通信士航海日誌その1
まだ若かり頃の航海日誌です。
初乗船は鹿児島の喜入港より、私20歳の春の事でした。

↑サンパンより本船を望む。
メキシコのサリナクルス港にて停泊中。
本船は、23万トンの油送船ですので岸壁には接岸しません。
電報が来ました!
当時の事ですから、メールではなく電報です。
"昭和57年4月2日鹿児島県喜入港より、月光丸に乗船を命ず"
もう、むちゃくちゃ緊張しましたね、なにせこれが初乗船ですからね。
「本船は、23万屯の油槽船で、君は員外通信士として乗船してもらう」
初乗船と言うことで、会社から、わざわざ電報の他に電話ももらって、乗船
について詳しい説明を受ける。
「くれぐれも、乗船時間に遅れないように、船乗りの鉄則だから・・」
益々、緊張しまくり!
?????"本船"ってなんだ? 油槽船"って「タンカー」のことかな?
"員外通信士"って言ってたけど、俺、ちゃんと「3等通信士に命ず」という
辞令をもらったんだけど・・・・
何せ"、新米通信士"見ること、聞くこと、全てピンときません。
さて、乗船まであと2週間しかありません。
おじいちゃんが昔、生まれて初めての海外旅行に行ったときに使ったスーツケース
を引っ張り出して支度を始めました。
何をもっていけばいいのやら? シャツやパンツは何枚ぐらい?それから「船員手帳」
「無線の免許証」あれえ~「車の免許証」ももっていったほうがいいのかな?
でも、いくらでかい船でも船の上で車のらないだろう・・でもひょっとすると・・・
な~んてわけもわからぬ事を考えながら支度をしておりました。
おっと、そうだ! 注射を打ってこなくちゃ。
何せ、昔のこと、イエローカードなんてもんがあって「コレラ」「種痘」「黄熱病」
3種類もの注射を打った記憶があります!
そーこーしている打ちに、今日は4月1日。
"エイプリルフール"なんて言っている場合じゃない、いよいよ出発の日!
今夜は鹿児島市内に一泊、明日はついに決戦、いや乗船だ!
ついに、乗船の日来たる。遅れてはいけないので、タクシーを飛ばして一路喜入港へ。
あれ~、これ港なの? なんだか石油タンクがいっぱい有るだけで、ちょっと港
らしいものが有るけど、タグボートみたいのが2~3とまっているだけ・・・
まして、でかいタンカーらしき物は、その姿も見えません。
しまった、ちがう港に来てしまったか! と思ったもののとりあえず、近くにいた
おっさんに聞いてみました。
「すみません、月光丸という船に乗るのですが、どこに行けばいいんでしょうか?」
「あ~・サンパンにのってけ」
????????????、またまた分からない。「サンパン」て何スカ?
「あんた船員さんやろ?サンパンって通船じゃ、そこで待っとれ」
"通船"?漢字で書くとなんとなく分かるけど・・・・・・・・・・・
とにかく、その「サンパン」ってやつに乗れば、我が「月光丸」に乗船出来そうです。
そうなれば、もう心配はいりません。"サンパン"ってやつが来るのをじっと
待つことにしました。
・・・・・・・ 続く
初乗船は鹿児島の喜入港より、私20歳の春の事でした。

↑サンパンより本船を望む。
メキシコのサリナクルス港にて停泊中。
本船は、23万トンの油送船ですので岸壁には接岸しません。
電報が来ました!
当時の事ですから、メールではなく電報です。
"昭和57年4月2日鹿児島県喜入港より、月光丸に乗船を命ず"
もう、むちゃくちゃ緊張しましたね、なにせこれが初乗船ですからね。
「本船は、23万屯の油槽船で、君は員外通信士として乗船してもらう」
初乗船と言うことで、会社から、わざわざ電報の他に電話ももらって、乗船
について詳しい説明を受ける。
「くれぐれも、乗船時間に遅れないように、船乗りの鉄則だから・・」
益々、緊張しまくり!
?????"本船"ってなんだ? 油槽船"って「タンカー」のことかな?
"員外通信士"って言ってたけど、俺、ちゃんと「3等通信士に命ず」という
辞令をもらったんだけど・・・・
何せ"、新米通信士"見ること、聞くこと、全てピンときません。
さて、乗船まであと2週間しかありません。
おじいちゃんが昔、生まれて初めての海外旅行に行ったときに使ったスーツケース
を引っ張り出して支度を始めました。
何をもっていけばいいのやら? シャツやパンツは何枚ぐらい?それから「船員手帳」
「無線の免許証」あれえ~「車の免許証」ももっていったほうがいいのかな?
でも、いくらでかい船でも船の上で車のらないだろう・・でもひょっとすると・・・
な~んてわけもわからぬ事を考えながら支度をしておりました。
おっと、そうだ! 注射を打ってこなくちゃ。
何せ、昔のこと、イエローカードなんてもんがあって「コレラ」「種痘」「黄熱病」
3種類もの注射を打った記憶があります!
そーこーしている打ちに、今日は4月1日。
"エイプリルフール"なんて言っている場合じゃない、いよいよ出発の日!
今夜は鹿児島市内に一泊、明日はついに決戦、いや乗船だ!
ついに、乗船の日来たる。遅れてはいけないので、タクシーを飛ばして一路喜入港へ。
あれ~、これ港なの? なんだか石油タンクがいっぱい有るだけで、ちょっと港
らしいものが有るけど、タグボートみたいのが2~3とまっているだけ・・・
まして、でかいタンカーらしき物は、その姿も見えません。
しまった、ちがう港に来てしまったか! と思ったもののとりあえず、近くにいた
おっさんに聞いてみました。
「すみません、月光丸という船に乗るのですが、どこに行けばいいんでしょうか?」
「あ~・サンパンにのってけ」
????????????、またまた分からない。「サンパン」て何スカ?
「あんた船員さんやろ?サンパンって通船じゃ、そこで待っとれ」
"通船"?漢字で書くとなんとなく分かるけど・・・・・・・・・・・
とにかく、その「サンパン」ってやつに乗れば、我が「月光丸」に乗船出来そうです。
そうなれば、もう心配はいりません。"サンパン"ってやつが来るのをじっと
待つことにしました。
・・・・・・・ 続く
2009年07月25日
Hamazoで初めてのブログ

20歳で三光汽船株式会社に入社。
海上従業員として、三等通信士を命ぜられました。
鹿児島県喜入港から初乗船したのが、三光汽船【月光丸】
その後3年間、船乗りとして仕事をしておりました。
スエズ、パナマの両運河。
ぐるっと世界一周も出来ました。
下の写真はベルギーのアントワープで船の仲間と一杯やっている風景です。

その後退職、色々あって今は浜松市南区卸本町に有る繊維問屋、【株式会社ハマフ】の4代目。
厳しい業界ですが、何とか操船しております!






